働き方・生き方
HUMAN RESOURCE DEVELOPMENT 人材育成
中原淳【第1回】輸入モデルで成り立つ人材開発の弊害と現状 – 仕事の学びを科学する経営学習論
【コラムジャンル】
コミュニケーション , マネージャー , モデル , リーダーシップ , リーダー育成 , 中原淳 , 人材 , 人材開発モデル , 仕事 , 企業 , 大人の学び , 学び , 学習 , 弊害 , 成り立 , 東京大学 , 現状 , 科学 , 第1回 , 経営 , 経営学習論 , 輸入 , 連載 , 開発
2014年12月24日
近年の、日本の人材開発の現場で、「アメリカから輸入した人材開発モデル」を過剰に適応しようとする動きが強まっていることにずっと「違和感」を抱き続けているという中原氏。その理由をお話いただきました。
近著『経営学習論 仕事の学びを科学する』で企業の人材育成を体系化する一方、数多くの現場のヒアリングを重ねて、ビジネスパーソンの人材育成の悩みと向き合い続ける中原淳。学問とリアルの両方を知り尽くす中原が、今、精力的に取り組んでいるテーマが「実務担当者からマネージャーへの移行(マネージャー育成)」だ。数あるテーマからなぜ、マネージャー育成にこだわるのか? 「中原にしか見えないもの」にフォーカスしてインタビューを敢行した。(4回連続でお届けします。)
(※本記事は、2013年7月1日発行のノビテクマガジンに掲載された記事を再構成しました。(記事中の年齢、肩書きなどは2013年取材時のものです。)
輸入モデルで成り立つ 人材開発の弊害と現状
「経営学習論」が僕の専門分野です。皆さんになじみのある言葉でいえば、企業における、学習・コミュニケーション・リーダーシップなどの研究ということになります。最近では、これらをまとめて「大人の学びを科学する」とわかりやすく言っています。
十年弱に渡ってこの分野を研究してきましたが、ずっと「違和感」を抱き続けていることがあります。それは、近年の、日本の人材開発の現場で、「アメリカから輸入した人材開発モデル」を過剰に適応しようとする動きが強まっていることです。アメリカから輸入した人材開発モデルを、雇用慣行の異なる企業の教育体系に組み込むことには、無理が生じる可能性も多々あります。
いくらグローバルな時代といっても、アメリカと日本では、社会的背景・雇用慣行・そして競争環境がまったく違うわけです。輸入の際には、その違いへの目配りが大切になると思われます。 むしろ、本当に事態を解決に導くためには「日本独自の実践をつみかさね、理論をつくる」以外にないのではないでしょうか。
人材開発は「トレンド」で行うものではない
「最近のアメリカの人材開発のトレンドは・・・である」とか、よくある言説に踊らせないでください。人材開発は「トレンド」で行うものではありません。それは「最近のトレンド」を売りたい人の「売り言葉」です。アメリカの人材開発の情報を収集すること自体は否定しませんが、それ以上に大事なことがあるはずです。日本人の特性に合った、我が社の社風や風土に合った、地に足のついた人材開発のあり方を、まずは目指すべきです。
輸入モデルの弊害の典型例が、リーダー(マネージャー)育成です。海外では、リーダーといえばトップや経営層を指すのが一般的です。一方、日本のリーダー育成は中間管理職育成を指している。具体的には、課長クラスが主でしょう。この階層の差異によって、輸入モデルをベースにしてリーダー(マネージャー)研修を行っても、内容と実態がかみ合わなくなる。
マネージャーになるのが難しい時代
僕がリーダー(マネージャー)育成について声高になるのは、自分自身が、ミドルマネージャーの年齢に達し始めていること、そして、最近、その関連で数多くの企業のマネージャーのヒアリングを行っているからです。毎週のようにマネージャー職についている人を訪ねて話を聞いていると、「マネージャーになるのが難しい時代なんだな」と感じます。
マネージャーに共通する3大悩み
業界を超えて、マネージャーに共通する3大悩みとしてあげられるのが、「戦略咀嚼」、「人材育成」そして、「プレイヤーマネージャーバランス」。この3大悩みは独立しているようで、実は根本でつながっています。戦略咀嚼というのは、会社が掲げた戦略や目標を自分の言葉に置き換えて部下に伝えること。それができないから部下が育たない。部下が育たないから、自分がプレイヤーとして稼がないとならない。そこで、本来、組織から求められるマネージャーの役割のバランスが崩れてしまう。
この一連の流れを、「顔は会社の方を常に見ているのに、体の向きは部下を向いている矛盾した状態」と表現したマネージャーがいます。そこには、個人では抱えられないほどの負担があります。なぜ、このような問題が起こるのかというと、職場の多様化によってコミュニケーションが複雑になっている背景があるからです。
コミュニケーションを難しくしている要素
高度経済成長期の日本は、男性の終身雇用が企業活動のベースになっていました。しかし今は、雇用形態が正社員・契約社員・パートと様々で世代もばらばらです。さらに、同じ職場に海外の方がいたり、年上の部下がいたりする。このダイバーシティの職場環境をマネージャーの立場から見ると、職場がモザイクのような状態になっている。クリアに見えない職場に対して、効率的なコミュニケーションをしていくことは大変なことです。
職場内の部下とのコミュニケーションを難しくしている要素はこの他にもあります。昔は部下に対して昇格という武器がものすごく使えた。だから、部下をコントロールしやすかった。しかし最近では、部下の価値観の変化で昇格という武器が使えなくなってしまった。そのため、コミュニケーションの比重が高まっているといえます。
職場の”人を育てる機能”が失われた
さらに、目に見えない形で職場の日常に埋め込まれていた、組織をまとめて人を育てる機能が失われていったこともマネージャーの負担を増加させています。どのように機能が組み込まれていたかは、個別の企業によって違いますが、社内運動会、社員旅行、社是の唱和、独身寮、社内ローンといったものがその代表です。
日本人はまとまりやすいというのは幻想
日本人は価値観が同じだからまとまりやすい、と言われることがありますが、僕個人は、昔も今も日本人は多種多様な人種だと思っています。長くなりますので、その根拠は割愛しますが、日本人はまとまりやすいというのは幻想ですから、職場に埋め込まれている機能が失われる、あるいは、それが残っていたとしても通用しなくなれば、マネージャーの負担が増大するのは当たり前なのです。
(第2回へつづく)