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伊藤華英インタビュー「私のプロフィール」
伊藤 華英
競泳オリンピアン
日本大学在学中の2003年、日本選手権の200m背泳ぎで優勝。大きな期待を受けてアテネオリンピック代表選考レースに臨むが、3位に終わって出場を逃し、失意のどん底に沈む。しかし、2006年の日本選手権で100m背泳ぎと200m背泳ぎの2種目を制覇。パンパシフィック大会では、100m背泳ぎで優勝を果たした。さらに、2008年には100m背泳ぎで日本新記録をマークし、北京オリンピックに出場(100m背泳ぎ8位、200m背泳ぎ 12位)。そして2012年のロンドンオリンピックでは、自由形の選手として出場(400mフリーリレー 7位、800mフリーリレー 8位)を果たした。
2012年9月に現役を引退。その後は、早稲田大学学術院スポーツ科学研究科で学び、さらに順天堂大学スポーツ健康科学部に進んで博士号(スポーツ健康科学)を得た。また、日本ピラティス指導者協会公認の「マットピラティスコーチ」も取得。現在は、テレビ・ラジオに多数出演するかたわら、水泳教室やピラティス教室、講演会の講師などを務める。JOCオリンピック・ムーブメントアンバサダーでもある。
初の挫折となったアテネ五輪選考レース
水泳を始めたのは自分ではなく、親の意思でした。ぜんそく気味だった私を鍛えるため、生後6カ月の時点で、親がスイミングスクールに入学させたのです。小学校1年生の頃から選手に選ばれるようになったのですが、「なんだか勝手に記録が伸びてるな~」という感じでした。当時は遊び感覚でスクールに通っていました。そして、小学5~6年生の頃は受験勉強に集中し、完全に水泳から離れていたのです。
最初のターニングポイントは中学時代でした。東京成徳大学中学校に入学して水泳部に入ったのですが、チームメイトは実績ある選手ばかり。皆に追いつこうと努力したら、自然とタイムが伸びました。そして東京成徳大学高等学校進学後は、日本選手権の決勝にも進出できたのです。
そうして注目されるようになったのですが、当時を振り返ると、選手としての自覚は薄かったと思います。練習を頑張っていたら、あっという間に結果が出てしまったという感じでした。当時の鈴木陽二コーチ(鈴木大地選手などを育てた水泳指導者。北京オリンピック競泳代表チームヘッドコーチ)からは「オリンピックに行こう」と言われていましたが、当時の私にとって、オリンピックはあまりに遠すぎる目標。具体的なイメージは、ほとんど湧いていませんでした。ただ、周囲からは「伊藤なら出場できる」と期待されていたし、私自身も行けるかもしれないなあ、と思っていたのです。
ところが、アテネオリンピック代表選考レースの結果はさんざんなものでした。決勝では上位2位までに入れず、代表入りを逃してしまったのです。実力を出し切り、それで届かなかったのなら悔いはなかったでしょう。ところが、レース直前の私はプレッシャーに負け、泳ぎたくないと逃げの感情に支配されてしまったのです。そして、気持ちがふわふわした状態で本番に臨み、全く集中できないままレースを終えてしまいました。
弱い自分と向き合い、練習を重ねて自信を得る
それまで順調に記録を伸ばしてきた私にとって、アテネオリンピック代表選考レースでの失敗は、大きな挫折でした。ライバルではなく、自分の弱さに負けてしまったことが、本当に辛かったですね。その時はじめて、「勝ちたい」「強くなりたい」と、心から思えたのです。このとき、私の「本当のアスリート人生」は始まったような気がします。
練習メニューそのものは、アテネ以前とアテネ後ではほとんど変わりありませんでした。しかし、練習への取り組み方が激変したのです。以前は、コーチから与えられたメニューをこなすだけ。でもアテネ以後は、そのときに抱えていた課題を見つめ、練習によってどう解決すればいいのか、自分から考えるようになりました。また、水中のトレーニングについてはコーチに全てお任せしていましたが、陸上でのトレーニング(ドライラン)については、私から練習方法を提案することも増えました。
アテネの代表選考の悔しさが前向きなエネルギーに変わっていくまで、しばらく時間がかかりましたね。ここで重要だったのが、練習を通じて自分と向き合う時間だったのです。心の傷や悔しさは、ただ待っているだけでは癒えません。弱くてダサい自分と、真っ正面から向き合う。そして、練習によって課題を一つ一つ克服し、自信を回復する。そうすることで初めて、氷が徐々に溶けていくように、気持ちが変化していきました。
自信をつけるために、「自分で決めたことをやり切る」ことが有効であることも実感しました。例えば、漠然と泳いで悪いタイムが出ると、「今日の泳ぎは悪かったな…」と落ち込んでしまいがちです。でも、時にはあえて、今日は遅めのタイムで泳ごうと決めるのです。そして、その通りのタイムで泳ぎ切ると、「目標が達成できた」と自信になります。
やるときとやらないときを、自分ではっきり決める。そして、小さな目標をクリアして自信をつける。これはアスリート以外の方にもお勧めできるやり方だと思います。
今後は、頑張る人々を支える役割を果たしたい
引退後は大学に進んで、スポーツ心理学の博士号を取りました。これまでアスリートのメンタルは、精神論・根性論などで語られる側面が大きかったように感じますが、私はメンタルをロジカルに捉えたいと思ったのです。
若い選手は、コーチから強制される方が練習に打ち込めることもあります。でも、自我が強くなってくると、上から押しつけられる指導法には反発したくなるものです。20歳過ぎの私自身がそうでしたから(笑)。相手の成長段階や、そのとき置かれた状況などによって最適な指導方法は変わるということを、大学では学ぶことができました。
今後は学んだことを生かし、選手を第三者的な立場から守る役割を果たしたいですね。心を鍛える「メンタルトレーナー」ではなく、もっと広い面でゆったりとアスリートを支えるようなポジションです。アスリートは時に、コーチや仲間にも言えないような悩みを抱えることがありますが、そういうときに相談し、気分を何となく楽にしてくれる人がいれば、選手はとても助かると思うのです。あるいは、アスリートに限らないかもしれませんね。プロフェッショナルなビジネスパーソンも、それぞれ悩みや課題を抱えているはず。そういう方々を支える人も、今後は求められるのかもしれません。
私はこれからも、前に進んでいこうと考えています。その原動力は、「人から同情されたくない!」という思いなのかもしれません。
アテネの代表選考レースで失敗した時、私は周囲から何度も「かわいそうだったね」と言われました。でも私は、「かわいそう」という言葉の裏に「上から目線」のような意識を感じ、かなりの屈辱を覚えたものでした。もし、当時の私が全力を尽くして敗れていたら、「かわいそう」という言葉もはねつけられたと思います。でもそのときは、そこまで胸を張れるような頑張りができていませんでした。
その経験を積んだからこそ、今があると思います。人から同情されないよう、いろいろな場所で自分が納得できるよう力を尽くそう。そんな思いが、私のエネルギーの源なのです。
伊藤華英 氏 出演!! スポーツトークライブ ”やれる気”心を動かす言葉のチカラ
アスリートとアナウンサーが2020年の東京オリンピックに向けた日本を盛り上げる言葉のイベント。それが、「スポーツトークライブ ”やれる気”心を動かす言葉のチカラ」です。
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