働き方・生き方
小松由佳 – 登山家からフォトグラファーへ
小松由佳 - 植村直己冒険賞受賞の登山家から、人々の姿を撮るフォトグラファーへ
「この選択が生死を分ける」。暗闇の中で下山を続けるか、それともビバーク(不時露営) するか……。登頂者の4分の1が命を落としてきた世界第2の高峰K2(パキスタン・8611m)。日本人女性として初めてK2登頂の偉業を成し遂げ「植村直己冒険賞」を受賞した小松由佳氏。現在はドキュメンタリーフォトグラファーとして、中東・シリアで難民の人々の暮らしを追う。バックグラウンドの異なる彼らと〝共生〟し、自然体の一瞬を切り取り続けることで、彼らのストーリーや変化を伝える。登山家からフォトグラファーという異色の経歴をもつ小松氏。講演でお伝えすることが多いという、ご自身のキャリアや異文化共生について聞いた。
(※本記事は、2021年8月1日発行のノビテクマガジンに掲載された記事を再構成しました。)
村上杏菜 ≫ 文 佐藤里奈 ≫ 写真
小松由佳(こまつ・ゆか)
ドキュメンタリーフォトグラファー
1982年秋田県生まれ。山に魅せられ、2006年、世界第二の高峰K2(パキスタン・8611m)に日本人女性として初めて登頂。植村直己冒険賞受賞。やがて風土に生きる人間の暮らしに惹かれ、草原や砂漠を旅しながらフォトグラファーを志す。2012年からシリア内戦・難民をテーマに撮影。著書に『人間の土地へ』(集英社インターナショナル/2020年)など。2021年5月、第8回山本美香記念国際ジャーナリスト賞受賞。
幼少期の原風景から始まったヒマラヤへの夢
「登山家になりたいと思っていたわけではなくて、ただヒマラヤに登りたかったんです」
ドキュメンタリーフォトグラファーとして、シリア難民の暮らしを取材している小松由佳氏。日本人女性として初めてK2登頂に成功し、自然を相手に勇気ある行動をした人を讃える「植村直己冒険賞」も受賞している。
登山に興味を持ったのは秋田県の自然豊かな環境で育ったことが関係している。田んぼで働く祖父母の後ろには、いつも山があった。
「『あの山の向こうを見てみたい』と思い、高校に登山部があったので入部しました」
自然の厳しさに真正面から挑む登山へのめり込み、大学でも登山部へ入部。多い時には年間260日も山に入っていたという。大学卒業後は登山用品店でアルバイトをしながら国内外の山に登って鍛錬を積んだ。
2006年、母校の山岳部の50周年記念事業のメンバーとなり、ついにK2へ。高さこそ世界第二位だが難易度はエベレスト以上で、これまで多くの登山者が命を落としてきた。
小松氏も下山のタイミングで命をかけた選択を迫られた。暗闇の中で下山を続けるか、それともビバーク(不時露営)するか……。
「死ぬ危険をおかすために山に登るわけではないんです。でも、リスクが高いということはそれだけ〝生きている実感〞をあじわえるのも確かです」
「生きているだけで尊い」という気づき
極限の疲労状態でリスクの高い下山を続けるのは危険と判断してビバーク(不時露営)することを選択した。「死んだのかもしれない」と思いながら迎えた夜明け、見渡す限りの紫の雲海と、登りくる太陽の光があまりに美しかった。人間がどれだけこの地を行き来しても、どれほどの時間が流れ去っても、山は何も変わらずただずっとそこにある。人間は自然の中の不安定な一部に過ぎないーー。K2登頂を経て、それまで〝生きている実感〞を追い求めていた小松氏の心境に大きな変化があった。
「人間って、何か特別なことを達成しなくてもただ生きているだけで尊いのだ、と」
ヒマラヤに登らなくても生きている実感を常に持てるようになった小松氏は、同時に、淡々と日々生き続けることの凄みや尊さに心惹かれるようになっていった。
〝人間の淡々とした日々の営み〞に触れるべく東京から沖縄まで自転車で旅をしたり、ヒマラヤの麓やモンゴルの草原、中東の砂漠を訪れたりもした。
アルプスの少女ハイジの暮らしに憧れて東京郊外の牧場で働いていたこともあったという。
「そのうち、自分がそういう暮らしをしたいというよりは、人々の暮らしを見つめ、それを写真で表現したいと思うようになりました」
登山の世界から写真の世界へ。迷いはなかったのだろうか。
「1年くらいはかなり迷いました。でも、人間は変化するのが本質だと思うので」
写真という手段を選んだのは、切り取られた一瞬が見る人の想像力をかき立てるからだという。写真家のアシスタントとして基礎を学び、独学でスキルを磨き上げていった。
人と自然、そして人と人との〞共生〞
日本の山間部やモンゴルの草原など、日本国内、世界各地のさまざまな風土と暮らしを見つめる中で、何度も訪れるようになったのがシリアだった。
「シリアの砂漠はヒマラヤの自然に通ずる厳しさがありました。また、そこでは自然と人間とが分け隔てられておらず、自然のサイクルの中に人が生きている感覚がありました。
厳しい自然の中で人はどう生きているのかもっと知りたいと思うようになりました」
シリア人は明るく冗談好きな人が多いという。そのような国民性にも惹かれ毎年シリアを訪れるうち、ある一家と親しくなった。父・母を筆頭に、その子らが16人、さらにその配偶者や子どもたちとで総勢およそ60〜70人の大所帯。
彼らとの交流を通じ、小松氏はアラブの文化や砂漠の民の生き方を肌で学んだ。
しかし、2011年頃からの内戦の勃発によって状況は激変。空爆や銃撃戦によって多くの国民が家や仕事を失い、遠方や国外へと逃れて行った。小松氏が親しくしていた一家も例外ではなかった。
「彼らが難民だからという理由で写真を撮っているわけではなく、彼らが激動の中で〝どう生きているか〞を表現したいんです。日本でも内戦の様子が報道されることがありますが、断片的で、人々のストーリーは見えてこない。彼らの姿を伝えることで少しでも多くの人に関心をもってもらい、状況を変える何かのきっかけになれば」
小松氏は、シリアで出会った青年と結婚、二人の子どもにも恵まれ、現在は写真家として生計を立てながら、日本で暮らしている。そして、毎年子どもたちを連れてシリア周辺国を訪れ、1〜2ヶ月かけてシリア難民の取材を行っている。撮影にあたっては信頼関係を築くために時間をかけることを大切にしているが、年を追うごとに精神的なしんどさも感じるようになったという。
「彼らの暮らす厳しい状況に共感してつらいということもありますし、生きることに必死でどんなことでもしてしまう姿を見ると、複雑な気持ちになります」
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ヒマラヤからシリア、難民の土地へ ~登山家、写真家、母としての挑戦~
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