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橋爪淳‐相手を観察し感情を読めば人間関係はグッと楽になる
多くの人は、「演技とは自分自身を表現すること」だと思っている。しかし、数々のドラマや映画、舞台に出演し、長きに渡って活躍してきた俳優の橋爪淳さんは、「演技の第一歩は、自分ではなく相手に意識を向けること」だと語る。彼の真意はどこにあるのか。そして、そのメソッドを日常生活に応用することで、職場や家庭の人間関係はどのように改善できるのだろうか。
(※本記事は、2023年9月1日発行のノビテクマガジンに掲載された記事を再構成しました。)
白谷輝英 > 文 波多野 匠 > 写真
橋爪 淳(はしづめ・じゅん)
俳優
東京都出身、日本大学芸術学部映画学科卒業。1982年、東宝50周年記念映画『海峡』でスクリーンデビューした後、1983年には美空ひばり舞台20周年記念ミュージカル『水仙の詩』で相手役に抜擢され注目を浴びた。1987年の『若大将天下ご免!』(テレビ朝日系)で連続ドラマ初主演を果たし、1990年放送開始の『大江戸捜査網』(テレビ東京系)でも主演を務めるなど、時代劇には欠かせない存在となる。1994年公開『ゴジラVSスペースゴジラ』で映画初主演。2000年から17年もの間、舞台『細雪』に出演した。近年は俳優としての活動にとどまらず、「スタジオファジオス『非・演技塾』」で講師を務めるなど、後進の育成にも積極的に取り組んでいる。2024年放送予定のNHK大河ドラマ『光る君へ』に、藤原頼忠役で出演が決定。
大震災を機に演技をゼロから学び直した
私は16歳で演劇を始めた当時から、相手役より自分を見て演技をする傾向がありました。与えられたセリフをどうやって言おうか、どんな動作で演じようかと、自分のことばかり気にしていたのです。
若く勢いがあった時期は、それでも良かったのかもしれません。ただ、ベテランの域にさしかかり「攻めの演技」から「受けの演技」への転換を求められたとき、私は自分の演技を見失ってしまいました。そのせいか仕事はどんどん減り、一時はうつ状態になるほど落ち込んだものです。
そんなとき、東日本大震災が起きました。私はボランティア活動を通じて被災地の方と触れあう中で、自分の生きる意味を問い直したのです。生きたくても生きられなかった人がたくさんいたのに、自分はまだ生きている。だったら、私にできる俳優の仕事をもう一度突き詰めて、人の役に立とう。そう考え、師匠について演技の勉強をゼロからやり直したことで、私は生まれ変わりました。それは、単に演技が変わったということにとどまりません。新たなメソッドを身につけたことで、私自身の人間関係の築き方や普段の立ち居振る舞いが、ガラリと改善されたのです。
そこで気付いたのが、私が学んだやり方は、一般の社会人にも役立つということでした。そこで私が講師を務めている『非・演技塾』では、俳優や俳優志望者以外の人にも指導をしています。彼らは演技のトレーニングをすることで、人前で緊張しなくなったり、家庭や職場での人間関係が良くなったりするなどの効果が得られているのです。
その場の『感情の川』を読み取ることが大切だ
多くの人は演技を、「台本に書かれているセリフを言い合うこと」だと思っています。プロの俳優にもこう考えている人は少なくありません。実は、昔の私もそうでした。
しかし、これは大きな間違いです。舞台やスタジオには複数の俳優がいて、それぞれが役柄に応じた感情を抱いています。例えば、ある俳優が「元気です」というセリフをしゃべっていても、心の中では悲しんだり怒っていたりすることがあるのです。そうした感情は俳優の表情や視線の動き、動作などに必ず現れます。それなのに、相手役を無視して自分勝手な演技をすると、やり取りが不自然になって芝居は壊れてしまいます。
舞台やスタジオでは俳優たちの感情がぶつかり、芝居という大きな流れを作ります。これと同じことが、実は一般社会でも起きているのです。
商談の場や企業の会議室などに居合わせた人には、それぞれの感情があります。それらは別々に存在しているのではなく、『感情の川』とでも呼ぶべき1つの流れを形作っているのです。これを無視して勝手に話したり行動したりすると、周りの人にネガティブな感情をもたらしてしまうでしょう。逆に、その場の『感情の川』の流れに上手に乗れれば、スムーズに商談を進められたり、会議をうまくまとめられたりします。
演劇の世界ではよく、「セリフは相手役の顔に書かれている」と言われます。芝居の流れを把握し、相手役をまっすぐ見て『感情の川』にしっかり乗っていれば、仮にセリフを忘れてしまっても自然なアドリブが口をついて出るという意味です。日常生活でも同じことが言えます。その場の感情の流れを正しくつかむことができれば、緊張せずスムーズに話せるようになるのです。
非言語情報を読む力を磨く
『感情の川』の流れを把握するには、その場にいる人の感情を読み取る力が大切です。
もしかすると、「人の感情は目に見えないのに、どうやって読み取ればいいんだ!」と反論する人がいるかもしれません。確かに、感情そのものを見ることは不可能です。ただ、読み取るためのヒントは、相手からたくさん出ています。視覚や聴覚をフルに活用すれば、感情を示す情報をキャッチして、相手が何を考えているのか、何を感じているのか想像ができます。
そこでまず挑戦していただきたいのが、下記ワーク1の「朝ご飯何食べた?」です。
このワークの目的は2つあります。1つ目は、相手とアイコンタクトして話せるようになることです。相手の目を見て話すのは慣れない人にとって意外と大変で、つい目をそらしてしまいます。それは恥ずかしい、自信が無いなど、自分に意識が向くからです。また、記憶を振り返るとき、人は無意識に上の方を見てしまいます。そのためワークに慣れていない人は、相手とのアイコンタクトを忘れてしまいがちです。まずは相手に意識を向けるということが大事です。
2つ目の目的は、相手の感情を観察する力を磨くことです。例えば、相手のまばたきの数を数えることで、自分ではなく相手に意識を向けるということを具体化する訓練を行います。
私は若い頃、セリフの言い方や演じる際の動作にばかり気を取られていました。それで演技の師匠からは、「橋爪さん、また自分に意識が向いていましたよ」とよく注意されていたものです。でも、トレーニングによって相手に意識を向けられるようになると、相手役と「感情のキャッチボール」ができるようになりました。ワーク1は、相手に対する意識を持続できるようにして、うまく感情のキャッチボールができるようになるための下準備なのです。
ワーク1で相手に意識を向けられるようになったら、ワーク2に移ります。このワークの目的は、表情、仕草、目の動き、しゃべり方、声の大きさといった「非言語情報」から、相手の感情を推測する力を磨くことです。
言語情報は言葉以上に、感情を読み取る材料になり得ます。例えばこちらが話しかけた時、相手があくびやよそ見をしていたら、退屈していると解釈できるでしょう。逆に相手が身を乗り出し、目を合わせ、熱心に頷きながら聞いていたら、こちらに興味を持っていると分かります。
人によって、感情の表し方は違います。手足の動かし方に感情が表れやすい人もいますし、目の輝きが変わる人もいます。見分けるには、訓練を重ねるしかありません。
大切なのは、五感を研ぎ澄まして相手に意識を向け、しっかりと観察することです。そうすれば居合わせた人たちの感情がつかめ、その場に流れる『感情の川』の流れが見えてきます。あとは、その流れにうまく乗るだけです。
ワーク1 「朝ご飯何食べた?」
●2人1組で行います。
●1人が相手に「朝ご飯何食べた?」と聞き、もう1人が答えます。終わったら、最初に質問された人が逆に「そっちは朝ご飯何食べた?」と聞き、相手が答えます。1分間たったら、それで終わりです。もし1分間経過する前に質問が終わったら、「じゃあ昼ご飯は?」と質問・回答を続けます。
●このとき質問をした人は、1分間の間に相手が何度まばたきをしたか数えてください。終わったら、互いにまばたきの数を発表します。
ワーク2 「喜・怒・哀」
※このワークは演技を習得した教師、または助手が相手を務めます。
●相手に趣味、好きな食べ物、好きな飲み物のいずれかを質問してください。
●質問された人は心の中で、喜び、怒り、哀しみのどれかの感情を想像します。感情にはその感情の出所(相手は誰?その人をどう思っている?自分はどうしたい?)が必要となります。その上で、相手の質問に答えてください。
●質問した人は、相手が心の中でどんな感情を想像していたのか推測し、発表します。
感情のキャッチボールは本当に楽しい!
師匠について演技を学び始めた当初、私はトレーニングが辛くて仕方がありませんでした。「自分ではなく相手を見て!」と注意されても、それがどういう意味なのか理解できなかったからです。ところが半年くらい経った頃、私は相手に意識を向けられるようになりました。すると突然、トレーニングが楽しくなりましたね。
相手役と感情のキャッチボールをすることが、こんなに楽しいなんて!と、初めて分かったのです。
ビジネスパーソンの方にも同じことが起こりえるはずです。顧客とのやり取りに苦手意識がある人も、感情のキャッチボールができるようになれば、仕事がグッと楽しくなるのではないでしょうか。
相手に意識を向けるやり方が身につくと、コミュニケーションも変わります。
キャッチボールをするときに相手の受けにくいボールばかり投げていると、相手もこちらの取りにくいボールを投げ返してきます。それを繰り返すうちに、どちらも嫌な気分になってしまうでしょう。一方、相手の取りやすいボールを投げようと心がければ、互いに感謝の気持ちが生まれてスムーズにボールが行き交うようになります。
感情のキャッチボールも同じです。よく「相手は自分の鏡」と言いますが、全くその通りだと私は思っています。相手役の感情を読み取り、それを尊重しながら演技をすれば、相手も応えてくれます。そうしたやり取りを続けることが、良い芝居を作ることにも、普段のレッスンをより良くすることにもつながります。
私は誰かに会う前にインナーモノローグ(心の声)で「ありがとうございます。お会い出来て嬉しいです」と何度も唱えます。すると、それが自然に相手に伝わり、良好な関係が築けるのです。私自身にも「ありがとうございます」と一日の始まりと終わりに言うだけで自分とも良好な関係が築けます。素敵な感情は最高のコミュニケーションの土台ですね。自分や相手の感情、そしてそもそも感情というものが何なのかを知ることで、感情に振り回されない自分になりました。深いです、演技って。