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藤田一照【第1回】藤田一照さんに聞く!一問一答 – 禅から考える”自律“とは? ~他律的思考から、自律的思考への転換~
禅から考える”自律“とは? ~他律的思考から、自律的思考への転換~
「自律とは後から振り返って気づくものであり、目指すものではありません。」
17年間米国で禅の指導をし、『仏教3.0』『人生のパラダイムシフト』『オンライン坐禅』など、イノベーティブな切り口で注目を浴びる禅僧、藤田一照さん。神奈川県葉山に構える茅山荘にて、そのエッセンスをたっぷり教授してもらった。
櫻井健司 ≫ 写真 村上杏菜 ≫ 文 小谷奉美 ≫ インタビュー
(※本記事は、2017年10月1日発行のノビテクマガジンに掲載された記事を再構成しました。)
藤田一照さんってこんな人!
東京大学大学院在学中に坐禅と出会いその奥深さに魅了され、博士課程を中退し禅寺に入山、29歳で僧侶となった藤田一照さん。きっかけは10歳の時の体験だった。自転車に乗りながら夜空を見上げた一照少年の心にふと浮かんだのは、「どうして自分と世界はこんな風になっているんだろう?」という、自分の存在、世界、宇宙に対する根源的な疑問。以来、スポーツや勉学に打ち込みながらもその疑問が頭から離れなかったそうだ。
答えを求めるべく、大学と大学院では哲学や心理学を学ぶが納得できるヒントが得られず、合気道や東洋医学の世界にも探求の手を伸ばしていく。その中で出会ったのが”坐禅“だった。心や体の一部分だけに焦点を当てる学問とは違い、内側からアプローチしていく禅に「これこそ自分が探し求めていたものだ!」と直感が働き、禅の道を探求することに。
6年の修行の後、師匠から勧められ米国の禅堂へ。17年にわたる、異文化の中での坐禅指導を経て禅の普遍性を実感する。2005年に帰国してからは、アメリカの大手企業への坐禅指導や曹洞宗国際センター所長の任務、オンライン坐禅コミュニティの主宰など、ワールドワイドに活躍。今なお10歳の時に抱いた疑問と共に生きる。
無意識のうちに他人の価値観、社会の 常識にとらわれながら生きている私たち。自分らしく生きるにはどうすればよいのだろうか?自律と他律、そして思考のパラダイムシフトについて、禅の観点から考えていく。
Q1 禅でいう自律とは何ですか?
禅語で『主人公』というものがあります。ここでいう『主人公』とは主役という意味ではなく、「自分本来の姿になれているか?」を問う言葉です。中国の有名な禅のマスターが「普通の人は24時間に使われている、私は24時間を使っている」と言っているように、自分の生き方を自分で決めること。
たとえばボルダリングのように、用意された突起を使って人工の崖を登ってゆくのは他律。一方、自然の崖を登るにはちょっとした窪みや出っ張りにも自ら意識を向け、あらゆるリソースを使おうという必死のモードが自律。生き方のスタンスそのものとも言えます。
私たちは皆赤ちゃんの時「歩きたい」「話したい」といった生命の内発的な力により、自然と歩行やコミュニケーションの術を体得していきました。これは『オーガニックラーニング』と言われるものです。
失敗を恐れず、先入観なく脳が自由自在に活動しているこの状態こそ自律。このような、生きていること全てが学びとなる『オーガニックラーニング』の環境を意識的に作ることが大事だと考えています。これは禅で言うところの修行ではないかと私は思っています。
Q2 他律的思考から自律的思考へ転換するためには何が必要ですか?
自分で物事を決めるためには、自らを突き動かすような、やむにやまれぬ、人に譲れぬ何かが必要です。理屈やデータ、外から習い覚えた「マインド(思考)」ではなく、ドキドキ、ワクワク、ソワソワといったその人独自の「ハート(感情)」や「ソウル(魂)」に従うことが自律的思考へと導いてくれます。坐禅を組む時、腹、すなわちソウルを意識します。「腑に落ちる」「腹が立つ」など、体の深い部分から立ちのぼるような感情はソウルで感じるもので、人を突き動かす原動力となります。六歌仙の一人、在原業平が「その心あまりてことばたらず*」と評されたのは、まさに言葉に尽くしきれないほどの熱い思いを和歌に込めようとしたからでしょう。
マインドは会社でたとえるなら敏腕マネージャーのようなものです。社長であるハートやソウルが全体の方向性を決め、マネージャーはそのための現実的な段取りを行います。リスクを自ら背負い「えいっ!」と決心するのはハートやソウルの役目なのです。
*『古今和歌集仮名序』にて、紀貫之が在原業平を評した一部。「表現したいことが多すぎて言葉が足りていない」との意。
Q3 自律的になりたい!どうすればいいでしょうか?
自律とは後から振り返って気づくものであり、目標にするものではありません。「自律的になれば良いことがある」との動機はそれ自体が他律的なのです。これは自律の皮をかぶった他律であり、私はこれを『引越しモデル』と呼んでいます。
一方、他律を掘り下げるていくことで少しずつ自律へと変容していくのが『掘り下げモデル』。本当の自律を目指すなら、まずは自分がどれだけ他律的かを自覚することから始めましょう。干し柿は、「渋を取り去る」ことで渋柿が甘柿になるのではなく、日光が当たることで渋自体が甘くなります。この『掘り下げモデル』を意識しながら、日々の自分の行い、発言の一つひとつを吟味し、いかに他人の概念で生きているかを徹底的に内に向かって問うていくことです。
状況をそのまま受容し、そこにとどまりつづけること、内的な深堀に徹することができる力『ネガティブ・ケイパビリティ*』も自律的な生き方に欠かせない要素です。
*イギリスのロマン派詩人ジョン・キーツの造語。不確かさ、疑問の中に安住する力。日本語では「消極的能力」「消極的受容力」などと訳される。
Q4 一照さんが多くの場で語っている「思考のパラダイムシフト」とはどういうことですか?
他律的思考から自律的思考へと変容していくこと、これも大きなパラダイムシフトです。
パラダイムとは、は、物事を考えたり感じたりする際の前提となる根本的な認識や思想といった思考の枠組みのこと。「当たり前だと思っていることって、本当にそうなのかな?」と大前提としていることに対して「ちょっと待てよ、おかしいんじゃないかな」と、違和感を感じ問題意識を持つことが大事です。
そこから意識がシフトし、全てが新しく始まっていくのです。青虫がさなぎの中で一度溶けて蝶の形に変容するように、あるいは渋柿の中の渋が変容して甘柿となるように、思考の枠組みが根本から覆されることが思考のパラダイムシフトです。
有名な大岡越前の裁きの話が良い例。母親を名乗る二人の女が、赤ちゃんの腕を左右から引っ張って奪い合う。あまりの痛さに泣き声をあげる赤ちゃんの様子に耐えかねて片方の女は思わず手を離してしまう。大岡越前はそちらを本当の母だと裁きを下したという話ですね。
手を離した女は「赤ちゃんを力ずくで手に入れる」から、「赤ちゃんの幸せのために自分の望みを諦める」に根本的思考がシフトしたわけです。
講師紹介
藤田一照(ふじた・いっしょう)
曹洞宗 僧侶
1954年愛媛県生まれ。灘高校、東京大学卒。同大学院時代に坐禅に出会い深く傾倒。28歳で博士課程を中退し禅道場に入山。29歳で得度。33歳で渡米し、以来17年半にわたってマサチューセッツ州ヴァレー禅堂で坐禅を指導。2005年に帰国、2010年より曹洞宗国際センター所長。Starbucks、Facebook、Salesforceなどアメリカの大手企業でも坐禅を指導する。2017年よりオンライン禅コミュニティ「大空山磨u587c寺(たいくうざんませんじ)」開創。『現代坐禅講義 – 只管打坐への道』『アップデートする仏教』『青虫は一度溶けて蝶になる – 私・世界・人生のパラダイムシフト』など著書・共著・訳書多数。