働き方・生き方
HUMAN RESOURCE DEVELOPMENT 人材育成
藤﨑忍 – 自分の殻をやぶるキャリア論
藤﨑忍- 39歳で初就業、専業主婦から社長へ 自分の殻をやぶり、世界を広げていくキャリア論
日本最古のハンバーガーチェーン「ドムドムハンバーガー」の勢いが止まらない。創業50年にして、SNS等で話題のヒット商品を連発している。仕掛け人は、51歳でドムドムフードサービスに入社し、わずか9カ月で社長に就任した藤﨑忍氏だ。39歳まで専業主婦だったという彼女は「SHIBUYA109のショップ店長」「居酒屋オーナー」を経て、「ドムドムの社長」にたどりついた。稀有な仕事人生を歩んできた藤﨑氏が語るキャリア論とは――?
(※本記事は、2021年9月1日発行のノビテクマガジンに掲載された記事を再構成しました。)
波多野 匠 > 写真 猪俣奈央子 > 文 野崎麻祐子 > ヘア&メイク
藤﨑忍(ふじさき・しのぶ)
株式会社ドムドムフードサービス
1966年生まれ。東京都出身。青山学院女子短期大学卒。政治家の妻になり、39歳まで専業主婦。しかし夫が病に倒れ、生活のために働き始める。最初はギャルブームの頃SHIBUYA109のアパレル店長。店の売上を倍増させたが、経営方針の違いから経営者と対立し、退職。アルバイトでしのぐが、たまたま空き店舗を見つけ、居酒屋を開業。すると料理の美味しさや接客の良さで一躍人気店に。その腕を常連客に見込まれ、ドムドムのメニュー開発顧問に。「手作り厚焼きたまごバーガー」をヒットさせ、ドムドム入社。その後わずか9カ月で社長に。「丸ごと!!カニバーガー」などが話題になり、ドムドムの業績は確実に回復している。テレビ朝日系「激レアさんを連れてきた。」出演で話題に。
いつも〝目の前のこと〞に一生懸命だった
「好きな仕事がしたいとか、理想のキャリアを歩みたいとか。
そんなことを考えたことは一度もないんです。ただ、そのときどきで、目の前にある仕事に夢中になっていただけ」――
そう語る藤﨑忍氏の仕事人生は、〝異色の〞〝稀有な〞〝波乱万丈〞といった言葉がよく似合う。
青山学院女子短期大学を卒業した翌年、21歳で政治家の妻に。39歳までは、家庭を支える専業主婦だった。夫が病に倒れたことをきっかけに、友人の母が運営していた「SHIBUYA109のショップ店長」となる。接客やマネジメントの手腕を発揮し、店長4年目で、店の年商は就業年の2倍にあたる2億円に。坪単価の激しい109ショップの中で坪効率トップ10入りを果たした実績からも藤﨑氏の才覚が窺われる。その後44歳で開業した居酒屋でも成功をおさめ、51歳でドムドムフードサービスに入社。わずか9ヵ月で社長に就任し、著しく低迷していた業績のV字回復、事業譲渡後初の黒字化を果たした。
39歳まで専業主婦をしていた女性が、次々と新たな挑戦を仕掛けていく。まるでドラマのようなサクセスストーリーだ。これまでにいた世界とはまったく別の扉をあけていくことに戸惑いや恐れはなかったのだろうか。
「私の場合は、夫が病気になり、家族を守るために働かなければならなかった。仕事を選んだり、躊躇したりする余裕はありませんでした。与えられた役割や環境で一生懸命になれるというのが私の性分。『目の前にいる人の役に立ちたい』『まわりにいてくれる人たちの期待に応えたい』という一心で仕事をしていたら、たまたまお声がけいただいたり、新しいチャンスがめぐってきたりしたんです」
「目の前のことに集中する」「身近な人たちのために心を尽くす」という姿勢は、ドムドムの経営にも反映されている。たとえば、コロナ禍でのマスク販売がその一例だ。2020年、一度目の緊急事態宣言が発出された当時、店頭からマスクが消えた。これでは従業員を守りきれないとマスクの製造にふみきった藤﨑社長は、従業員にマスクが行き渡ったあと、店頭に足を運んでくれるお客様のためにと、ドムドムのマーク入りマスクを安価でレジ横に置いた。
「私たちとしては社会貢献の一環のつもりでした。みなさんマスクがなくて困っているのならお役に立ちたいと。宣伝もせず、そっとレジ横に置いていただけだったのですが、あるときSNSでバズって、お店に長蛇の列ができるようになって。本社への電話も鳴りやまないほどでした。店舗の負担を減らすために急遽、ECサイトを立ち上げた。いまではこのEC事業が1店舗以上の売上を計上するほどに育っています。ただ、利益目的で立ち上げたわけではありません。考え方の順番が逆なんです」
キャリアをジャンプアップさせた原点は、不安感
「SHIBUYA109のショップ店長」「居酒屋のオーナー」「日本最古のハンバーガーチェーンの社長」というまったく異なるキャリアを歩んできた藤﨑氏だが、共通するのは、行く先々で必ず大きな成果を出している点だ。なぜ、彼女のようなキャリアアップが可能だったのか。藤﨑氏は自身の資質について、大胆な挑戦とは裏腹に、〝不安を感じやすいタイプだ〞と明かす。
「109の店長を辞めて、居酒屋を開業したとき、1年ほどで満席の状態がつづくようになりました。予約なしで来店してくださったお客様には『ごめんなさいね』と、毎日お断りしなければなりません。店が繁盛して良かったと思う反面、私は、すごく不安になった。こんなにお断りしてばかりでは、いつかお客様が離れてしまうと。そんな不安を抱えていたとき、隣りの店舗が廃業すると聞いて、2店舗目の出店にふみきりました。私のキャリアアップの原点には、いつも〝不安な気持ち〞があるんです」
うまくいっているときに、その先を見据え、不安を感じる。不安を打破するために、あるときは新しい挑戦をし、あるときは入念な準備を重ねる。藤﨑氏のキャリアアップの起点になっているのはこの「不安感」だ。そして、その根底にあるのは「自分がいかに在るか」ではない。「お客様や従業員が何を欲しているのか」「何を求められ、何を期待されているのか」。常に目線は〝相手ありき〞だ。
自分自身でつくった〝殻〞に、とらわれないで
最盛期には全国で400店舗展開していたドムドムは事業縮小を重ね、30数店舗にまで減少した。業績も低迷の一途をたどっていたが、藤﨑氏の社長就任後、ヒット商品を連発している。ソフトシェルクラブを一匹丸ごと挟んだ「丸ごと!!カニバーガー」や、ファッションブランド「FRAPBOIS」「BEAMS」とのコラボ商品はSNSでも話題に。同社を黒字化へとけん引した藤﨑氏が掲げる経営方針は「お客様やスタッフの人生に寄り添い共存共創するブランド」だ。
「最近では〝絶滅危惧種のハンバーガーチェーン〞というキャッチフレーズをつけていただくことが増えました(笑)。創業から50年、いいときだけではなく、人気が低迷したときも、愛してくださっていた方々がいたというのはブランドとして本当に強い。だからこそ次の50年も、このブランドを愛し、守ってきてくれたお客様やスタッフに寄り添い、一緒にブランドをつくっていきたいと考えているんです」
中長期の計画はあえて重視しない。経営指針に則り、時代に即した施策をその都度、スピーディーに打ち出していくのが藤﨑氏のモットーだ。とくにコロナ禍では半年先、一年先の見通しを立てることも難しい。中長期の計画にとらわれるほうが経営上のリスクが大きいと考えている。
「型にはまらない」「こだわりすぎない」というのも、藤﨑氏が大切にしている考え方だ。これはキャリアにおいても同様だという。
「これからどんなふうにキャリアをつくっていくか。多様な選択肢がある時代だからこそ悩んでいる方も多くいらっしゃると思います。ただ稀有な人生を歩んできた私が申し上げられるとしたら〝こだわらない心〞が大事だということ。考えすぎて、かえって〝自分の殻〞をつくってしまったら、もったいない。専業主婦が店長や社長なんてできないともしも私が考えていたら、いまの私はありません。
こだわらず、やりたいと思ったことをやってみたらいい。失敗したら、また違うやり方で挑戦すればいい。年齢や結婚などライフスタイルの変化と共に、考え方が変わることもあるでしょう? 自分の心に正直に生きていいと思うんです」
新しい価値観と旧来の価値観をうまく融合させていく
心理的安全性を大切に、失敗を咎めず、気兼ねなく何でも言い合える組織づくりを推進した結果、ドムドムには社員一人ひとりが当事者意識をもち、考え、挑戦する社風が浸透している。社員がやりたいことを思い切りやれる環境を整えるのは社長の仕事だが、社員自身のキャリアを考えるのは自己責任。もしも自分の夢を見つけ、巣立っていく社員がいれば、喜んで送りだすと藤﨑氏は語る。社長が社員に対して「こうなってほしい」と思うこと自体、僭越だと考えているのだ。
「和を大事にする。一人ひとりと向き合い、言葉で丁寧に伝える。心理的安全性が保たれた組織をつく。これが私のやり方ではありますが、新しい価値観だけを取り入れているかというとそうではありません。一生懸命にやる。年長者を敬う。礼儀を大事にする。こういった古くからある価値観も同時に大事にしています」
不安を原点に新しい一歩をふみだす。自分自身の殻に閉じこもらず、既成概念や計画にとらわれずに、いまやるべきことをやる。新しい価値観と昔から大事だとされてきた価値観をうまく融合させていく。藤﨑氏のキャリア論に、混沌とする時代を生きるヒントがある。