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町亞聖【第2回】介護離職は「人材流出」という危機意識を持つこと – 専門家が語る「本当の多様性」への現状と課題-実現へ向けて今企業ができること-
「当事者の声ほど大きな力を持つものはなく「介護しながら仕事を続けてる!」と今こそ声を上げよう。」
企業価値を実現することを目標に、政府が新たに打ち出した「ダイバーシティ2.0」今、企業が考え行動しなくてはいけない事を分野ごとの専門家が課題、現状を解説。
(※本記事は、2018年1月1日発行のノビテクマガジンに連動した詳細記事です。)
介護離職は“人材流出”だと自覚すること
町亞聖
欧米では1970年代以降から使われはじめた「ワーク・ライフ・バランス」という言葉。日本でも遅ればせながら2007年に「ワーク・ライフ・バランス憲章」が策定されたが、実現にはまだ課題が多く存在する。“介護離職”の問題は、長い間放置され、2007年から2008年の段階で約9万人にのぼっており、現状その数は年間10万人を超えている。介護休業を取得している人はわずか3.2%。転職した人の中で、正社員は男性で3人に1人、女性で5人に1人、そして多くの人の収入は半分になっているという調査結果もある。年代は40代から50代が多く中間管理職にあたる人材であり、介護離職は個人の問題ではなく、会社にとって“人材流出”という大きな損失であるという自覚を持たなければならない。
離職の理由で一番多いのは「自分以外に介護をする人がいない」というもの。我が家も母が倒れた時ちょうど高校3年生で、私が母の介護や弟妹の世話をするしか選択肢はなかった。介護保険制度の無い中で始まった介護。「どうして介護と仕事が両立できたのか?」と質問されることがある。それは、家族のサポートとアナウンサーになるという子供の頃からの夢が叶ったことが精神的な支えとなったからだ。
育児と違い終わりが見えないと言われる介護だが、それでもやはり終わりが来る。それは大切な家族が居なくなるという形で。仕事を辞め経済的に親の年金を頼りに生活している場合、介護が終わった後に自分に何が残るのかを考える必要がある。“介護のその後”のことも視野にいれ、夢や希望を持ち、自分の人生も大切にすることが、見えない道を歩く人間にとって未来を照らす光になる。
両立の鍵は「柔軟な働き方」
アナウンサーの仕事は不規則で大変な面もあったが、20年前に「フレックスタイム」の働き方が出来たという点で、実は介護との両立に向いていた。早朝番組の担当の時は、夜中2時前にタクシーが家に迎えに来るが、その代り遅くとも夕方には帰宅でき、それから買い物や家族のご飯を作ることが出来た。
また全員が同じ時間に働いていないので「私だけが早く帰っている」という罪悪感を持たなくて済んだ。介護は誰でも直面する事なのだから申し訳ないと思う必要はない。介護と仕事の両立を実現するためにはどうしたらいいのか、その答えは明白である。一日も早くその人のライフスタイルに合った“柔軟な働き方”を導入することである。
リーダーシップを取る男性の意識改革が必要
介護の問題に関し、苦汁の選択を迫られている大多数が女性である。個人の努力には限界があり柔軟な働き方を実現するためには会社のトップや職場の管理職の意識を変える必要がある。上場企業の中で女性が社長なのはわずか1%。国は2020年までに指導的地位に占める女性の割合を30%以上という目標を掲げているが、絵に描いた餅になるのは想像に難くない。リーダーシップをとる「99%」の男性が意識改革をすることが出来るかどうかだ。
女性全員が社長にならなくてもいいが、自分の人生を大切にしながら育児や介護を両立している人を1人でも増やしていきたい。私も道なき道を歩いた1人。細いながらもすでに道は出来ている。その道を行く人が増えれば必ず道が広がり、後から続く人が生き易い世の中に繋がるはず。
当事者の声ほど大きな力を持つものはなく「介護しながら仕事を続けてる!」と今こそ声を上げよう。
町 亞聖 (まち あせい) プロフィール
フリ―アナウンサー
1995年、日本テレビにアナウンサーとして入社。その後、活躍の場を報道局に移し、報道キャスター、厚生労働省担当記者としてがん医療、医療事故、難病などの医療問題や介護問題などを取材。2011年、フリーに転身。脳障害のため車椅子の生活を送っていた母と過ごした10年の日々、そして母と父をがんで亡くした経験をまとめた著書「十年介護 」を小学館文庫から出版。医療と介護を生涯のテーマに取材、啓発活動を続ける。
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