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言葉のチカラ【第1回】野村忠宏氏の発奮・萩原智子氏の蓄積 – プロがやれる気になった言葉たち~様々な道のプロが、様々な場面でやれる気をもらった言葉とは…~
やれる気とは
「言葉のチカラがやれる気を引き出す」
「やれる気」とは、言葉の通り、”やれる“という気持ちです。言葉には、力があります。承認の言葉や、応援する言葉で、人の心を動かし”やれる気“にさせることで、人を、日本を、やる気に、そして元気にさせていきます。
株式会社ノビテク 代表取締役
ノビテクマガジン発行人
大林伸安
※この記事は、2017年10月1日発行のノビテクマガジン発行時に収録した内容の再掲です。記事中の年齢、肩書きなどは2017年取材時のものです。
野村忠宏氏がやれる気になった言葉
おまえ、そんなもんか!
Episode
天理大学時代、柔道部監督の細川伸二先生に言われた言葉。負けず嫌いの野村の心に火をつけ、限界を超える感覚をつかませた。
実はこの言葉の前には「本当に強くなりたいなら意識を変えろ。練習の1本を常に試合と思って全力を出しきれ。限界まで追い込んだら休んでいい」との指導が。
稽古への姿勢を変えた野村が力を使い切り先生の所へ行くと
「おまえ、そんなもんか」
と言われ、「ここで休んだら負けだ」と発奮させられた言葉。
野村忠宏(のむら・ただひろ)
柔道家 所属:ミキハウス
祖父は柔道場「豊徳館」館長、父は天理高校柔道部元監督という柔道一家に育つ。 アトランタ、シドニー、アテネオリンピックで柔道史上初、また全競技を通じてアジア人初となるオリンピック三連覇を達成する。その後、度重なる怪我と闘いながらも、さらなる高みを目指して現役を続行。2015年8月29日、全日本実業柔道個人選手権大会を最後に、40歳で現役を引退。
萩原智子氏がやれる気になった言葉
智子さん頑張ってるじゃん。もっと自分を褒めてあげて。
Episode
30歳復帰後に、北島康介くんからかけてもらった言葉。
20歳からずっとシドニー五輪4位の結果がコンプレックスだった私。悔しいという思いすら言えませんでした。
4位の私、メダルを逃した私、ダメな私。そんなマイナス面ばかりを追いかける日々。
しかし北島くんの言葉にはっとしました。頑張った私もいたんだと。
もっと自分と向き合おう。頑張った私のやってきた心の蓄積は0にはならない。素直な気持ちで向き合っていきたい、そう思えた言葉です。
萩原智子(はぎわら・ともこ)
シドニーオリンピック競泳日本代表
1980年生まれ。1998年のアジア競技大会で3つの金メダルを獲得。2000年のシドニー五輪では、200m背泳ぎ、200m 個人メドレーで入賞を果たした。2004年に現役を引退したが、2009年に復帰。50m自由形、100m 個人メドレーで短水路日本新記録を樹立するなど活躍した。現在は日本水泳連盟理事、2020年オリンピック・パラリンピック組織委員会アスリート委員を務めるかたわら、テレビ出演や水泳教室の講師など多忙な毎日。
10月30日開催 日本を盛り上げるスポーツトークライブ
メダリスト、アナウンサー、タレントがスポーツトークライブ!2020年のオリンピックに向けた日本を盛り上げる言葉のイベント。それが、「スポーツトークライブ ”やれる気”心を動かす言葉のチカラ」です。
イベントキーワード yareruki 2020 でも検索できます。