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HUMAN RESOURCE DEVELOPMENT 人材育成
野村忠宏【第2回】限界のその向こう 意識を変えた恩師の助言 – 変わり続ける勇気。
変わり続ける勇気。
「体力・技術・気力が同レベルの選手と戦う時、勝敗を分けるのは”執念“」
小さい身体。勝てない勝負。寄せられない期待。それでも未来を夢見た少年時代。アジア人初のオリンピック3連覇を達成した柔道家・野村忠宏氏が弱さや不安と真っ向から向き合い、覚悟を持ち続けてこられたのはなぜか?
小谷奉美 ≫ インタビュー 波多野 匠 ≫ 写真 村上杏菜 ≫ 文 NOBU ≫ ヘア&メイク
(※本記事は、2017年10月1日発行のノビテクマガジンに掲載された記事を再構成しました。)
限界のその向こう 意識を変えた恩師の助言
天理高校の柔道部の稽古は想像以上にきついものだった。12人いた同級生のうち9名が寮から集団脱走したほどだという。入学時の体重が45キロしかなかった野村氏が、技術も体格も何倍も上の先輩や同級生相手に苦闘する姿は想像に難くない。しかしこの時期に相手としっかり組む柔道を経験したことが、成長して体がついてきた時の結果に結びつく。高校3年時には初めて県大会で優勝し、全国大会出場、そしてジュニアの強化選手にもなり、勝つ喜びを知る。その後進学した天理大学では、ロサンゼルス五輪金メダリストであり、柔道部の監督を務めていた細川伸二先生から直々に指導を受けたことが、野村氏の意識を大きく変えた。
「2年生の時のことでした。稽古への取り組み方が甘すぎる、と叱咤されたのです。当時の稽古のメインである『乱取り』では6分ごとに相手を替え、12本連続で激しく組み合います。当時の僕は『いま◯本終わったからあと◯本で残りあと◯分やな』と頭の中で計算していました。そんな僕の無意識の手抜きを見抜いた先生から『本当に強くなりたいなら意識を変えろ。常に試合と思って1本ごとに力を出し切れ。限界まで追い込んだら休んでいい』と言われました。今まで誰にも期待されなかったので、先生が自分に目をかけて指導してくれたことが嬉しかった。これをきっかけに、練習に対しての姿勢が変わっていきました」
執念が勝敗を分ける。限界を超える経験が、執念を育てる。
あえて先生の目の前で、常に全力で1本に取り組むようになった。すると、練習はこれまでとは比べものにならないほど辛くなったという。『もう無理だ』というタイミングで先生の所へ行くと
「おまえ、そんなもんか」と言われた。「正直『まじか…』と思いましたが、ここで休んだら負けだし、なにより弱い自分を変えたいという気持ちが強かったので、気力を奮い立たせて再開しました。すると、フラフラの極限状態の中でも自然と体が動き、技が出るんです。体力・技術・気力が同レベルの選手と戦う時、勝敗を分けるのは”執念“。どんな試合でも初めから全てを出し切り、自分の限界をも超えていく意識を持つようになりました」
細川先生の指導により大きく意識を変えた野村氏は、半年後には全日本の学生チャンピオンに。その2年後の大学4年時には初出場のアトランタオリンピックで金メダルを獲得するまでに成長した。
講師紹介
野村忠宏(のむら・ただひろ)
柔道家。
1974年奈良県生まれ。
祖父は柔道場「豊徳館」館長、父は天理高校柔道部元監督という柔道一家に育つ。アトランタ、シドニー、アテネオリンピックで柔道史上初、また全競技を通じてアジア人初となるオリンピック三連覇を達成する。その後、度重なる怪我と闘いながらも、さらなる高みを目指して現役を続行。2015年8月29日、全日本実業柔道個人選手権大会を最後に、40歳で現役を引退。2015年9月に著書「戦う理由」を出版。ミキハウス所属。
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あらゆる年代の人にも通じる目標に向かって努力することの大切さ、挫折を乗り越える方法などをお話いたします。柔道家/アトランタ五輪メダリスト/シドニー五輪メダリスト/アテネ五輪メダリスト
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