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佐伯チズ【第1回】技術が助けになってくれるはず – インタビュー「行動せずに得られるものはなし!憧れに向かって突き進み、夢を掴みとる」 – キャリアを真剣に考える
【コラムジャンル】
インタビュー , キャリア , なってくれる , 佐伯チズ , 助け , 向かって , 夢 , 得られる , 憧れ , 技術 , 掴みとる , 突き進み , 第1回 , 行動
2018年06月11日
「行動せずに得られるものはなし!憧れに向かって突き進み、夢を掴みとる」 - キャリアを真剣に考える
「なりたいものになるために、常に私は全力で行動してきたのです。」
「アバウトな夢は見なかった」。簡単に実践できる方法で確かな美を手に入れる術を発信し続けてきた佐伯チズさん。誰もが羨むようなキャリアを収めてきたように見える一方で、その背景には憧れを現実のものにする強い意志、そして幼少時からのトライ&エラーの積み重ねがあった。
佐々木信行 ≫ 写真 村上杏菜 ≫ 文
(※本記事は、2017年4月1日発行のノビテクマガジンに掲載された記事を再構成しました。)
技術が助けになってくれるはず
強い憧れ、「なりたい」気持ちが私を行動に駆り立てた。
興味のあることには何でもチャレンジしてきた経験と、自分の五感を使って学んできた知識と経験が今の私のキャリアを作りました。この姿勢は幼少時代に育まれたもので、いわば私の原点。
父親は愛人のもとに行ったきり、母親も水商売をしながら他の男性と恋愛をするなど、家庭環境には恵まれませんでした。母方の実家に居候して祖父母に面倒をみてもらう生活に肩身の狭い思いもしましたが、おかげで自立心や負けん気の強さ、諦めない心が養われたのは確か。
食べるものにも不自由する時代に育ちましたが、発酵食品を中心とする祖母の料理が丈夫な体を作ってくれましたし、「あれは何?」「なんで?」を連発しながら付いて回る私に、祖父は丁寧に向き合って好奇心を満たしてくれました。常識や礼儀といった基本的な部分に加え、自分の目や耳、手足を使って習得する精神は祖父母との日々で培われたのです。つくづく、子どもの頃の躾は人格の形成に大きく影響するものだと思います。
祖母の台所仕事を手伝ったり祖父のお手伝いをしてお駄賃をもらったりしながら、人が働くことについて身を以て学ぶうちに、将来の自分を助けてくれるのは人ではなく技術だと考えるようになりました。目指すのは、その世界での”自分流の一流”。茶道や華道や踊り、電話交換手、自動車の運転、美容師などたくさんの免許を持っている私ですが、どれも自分の身を立てる技術を身につけようと試行錯誤した結果です。
「あんな女性になりたい!」が私を突き動かした
運動が大好きではねっかえり、まるで男の子みたいだった私が女性らしさへの憧れに目覚めたのは小学校で「中野先生」と出会ったから。スーツとパンプスの小綺麗な身なりで「チズちゃん、廊下は走ったらダメよ」と注意するその声のなんと優雅なこと。まさに”品がある“とか”エレガント“などと形容する雰囲気の先生で、「こんな女性になりたい!」と激しく憧れを募らせたものです。「先生、綺麗ですね」と言ってはまとわりついていました。
その後も、舞妓さんに憧れては踊りやお花を習ったり(祖父は稽古事にはお金を惜しまず通わせてくれた)、宝塚に憧れてはフィニッシングスクールに通ったりしました。オードリー・ヘプバーンになりたいと思って、ソバカスを消すために角質取りで肌をこすったり、日焼けしないためにソフトボール部から卓球部へ転向したりも。腫れぼったかった瞼をこすって二重にもしたし、きついベルトをつけてウエストを細くもしました(笑)。なりたいものになるために、常に私は全力で行動してきたのです。
講師紹介
佐伯チズ(さえき・ちず)
1943年生まれ。OLを経て美容学校、美容室に勤務し、フランス化粧品メーカー・ゲランに入社。その後結婚や渡米を経てパルファン・クリスチャン・ディオールのインターナショナルトレーニングマネージャーに就任。同社を定年退職後、エステティックサロン「サロンドール マ・ボーテ」を開業。さらに美容理念と佐伯式美容理論を提供する場、「佐伯式美肌塾チャモロジースクール」を開校。美容家として雑誌、テレビ、ラジオ、講演など様々な場で活動。「頼るな化粧品! -顔を洗うのをおやめなさい!」「美肌革命」(講談社)、「キレイの躾」(世界文化社)などの著書も多数。
ご紹介している佐伯チヅさんが、2020年6月5日に筋萎縮性側索硬化症(ALS)のため、お亡くなりになりました。心から佐伯チズさんのご冥福をお祈り申し上げます。