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伊藤華英 -「心と体」と「メンタルタフネス」 – イチオシ講師
競泳オリンピアンとして、大学で研究した博士として、 私が伝えたい「心と体」と「メンタルタフネス」のこと
「実は、まったくストレスがない環境だと、競技者も記録を伸ばせないんです。」
2008年、女子競泳100m背泳ぎで日本新記録を樹立。競泳アスリートとして北京・ロンドンと2度のオリンピックを経験した、伊藤華英さん。引退後は、ピラティスの指導資格と共に、順天堂大学大学院にてスポーツ健康科学の博士号を取得した。競泳オリンピアンや博士、講師などさまざまな顔を持つ、伊藤華英さんの魅力に迫る。
(※本記事は、2020年4月1日発行のノビテクマガジンに掲載された記事を再構成しました。)
猪俣奈央子≫ 文 波多野匠≫ 写真
伊藤 華英(いとう・はなえ)
競泳オリンピアン(北京/ロンドンオリンピック 水泳女子日本代表)
日本ピラティス指導者協会公認マットピラティスコーチ
1985年生まれ、埼玉県出身。べビースイミングから水泳を始め、15歳で日本選手権に初出場。2008年、日本選手権女子100メートル背泳ぎで日本記録を樹立。オリンピック代表選手となる。2012年、ロンドンオリンピック自由形の代表選手となり、同年10月の国体を最後に現役引退。引退後は、水泳とピラティスの素晴らしさを多くの人に伝えたいとマットピラティスコーチとしても活動中。順天堂大学大学院で精神保健学を専攻し、理論とアスリートとしての経験の両面から、働く人の心と身体の健康を守るメンタルタフネスやモチベーションマネジメントのテーマで講演し、好評を博している。
4年に1度の大舞台で起こった〝まさか〞
伊藤華英さんが水泳を始めたのは生後6カ月のころ。小児ぜんそくを心配した両親が、体力づくりのためにベビースイミングに通わせたことがきっかけだった。オリンピックを目指したい、人より速く泳ぎたいというよりは、日常の延長に水泳があり、〝自身のタイムを更新していくこと〞に楽しさを見出していた。
高校生になると背泳ぎで頭角を現し、競泳界の新星となっていく。2000年、15歳で日本選手権に初出場。16歳で初代表入り。2008年に女子100メートル背泳ぎで日本記録を樹立し、北京オリンピック出場の切符を手にした。アスリートとして、まさに花開いていったこのころ、伊藤さんを悩ませていたのが、思春期による身体の変化と月経の問題だ。
「女性アスリートは、思春期という壁にぶつかることが多いのです。女性ホルモンや身体の変化で今までできていたことができなくなったり、体重コントロールが難しくなるのです。私も月経前になると精神的にイライラし、体重が増えました。0.01秒の世界で生きている競技者は、少しの変化にも敏感。関節がゆるんだり、腹筋に力が入らなかったり、タイムも遅くなって。今思えば、月経前症候群(PMS)だったのですが、当時は〝なぜ体重が増えるんだろう〞〝イライラしてしまうんだろう〞と悩んでいました」
そして23歳で挑んだ北京オリンピックで、恐れていた〝まさか〞が起きる。試合日程と月経予定日が重なってしまったのだ。コーチや産婦人科医と相談し、悩んだ結果ピル(月経日をずらしたり、月経量を少なくしたりする効果がある)を服薬するが、体質に合わず体重が3〜4キロも増えてしまった。
体の不調“ガマンする”時代じゃない 提言に大きな反響
万全とはいえないコンディションのなかでベストを尽くし、背泳ぎ100メートルで8位入賞。北京オリンピックを振り返って、伊藤さんはこう語る。
「ピルを服薬したことが間違いだったのではなく、大舞台で初めて服薬したことがミスジャッジだったと捉えています。もっと前からピルを試したり、月経とうまく付き合っていく方法を模索したり、効用や副作用についての正しい知識を得るべきでした」
引退後、伊藤さんは女性アスリートの思春期における身体の変化や生理のこと、過多月経による貧血、過酷なトレーニングによる無月経の問題についてコラムを書いた。「女性だから仕方がない」「ガマンすればいい」という時代ではなく、繊細な女性の身体について、女性も男性も正しい知識を持ったほうがいいと考えたからだ。
このコラムには、想像以上の反響が寄せられた。アスリートだけではなく、「月経やホルモンバランスの変化がつらい」と感じている女性は多い。また、不調があるのは女性だけではない。男性にも心と体の不調がある。そうした体の不調や悩みについて、男女ともにお互いを理解し、もっとカジュアルに語り合え、気軽に医者などの専門家とつながれる社会になれば、と考えている。
アスリート経験を生かし、メンタルタフネスを研究
北京オリンピック後、世界選手権・アジア大会で数々のメダルを獲得。2012年にロンドンオリンピックへの出場を果たしたあと、競泳選手を引退した伊藤さん。アスリートから一転、新たに足を踏み入れたのはアカデミアの世界だった。
2013年に早稲田大学学術院スポーツ科学研究科で学び、2014年には順天堂大学スポーツ健康科学部に進学。翌年、博士号を取得した。
「競技者を引退して、ピラティスの資格を取りました。ただ、セカンドキャリアを考えたときに、このままでいいのかなと。ずっとアスリートの世界にいて、実践者として語れることはあります。伝えたいこともあります。でも、エビデンスがない。とくに私は、アスリート時代に『メンタルが弱い』と言われていたので、精神論とか気合とかではなく、メンタルをロジカルに捉えられるようになりたいと考えたんです。
大学院で学ぶ生活は、とても刺激的でした。現役時代より楽しかったくらい(笑)。さまざまな人の研究の上に社会が成り立っていることを知って謙虚になれましたし、知らないことや学べることがたくさんあるというのが純粋にうれしかったのです」
研究したのは『メンタルタフネス』だ。インタビューをもとにした、アンケート調査で尺度を開発。どのような人がメンタルが強いのか、分析を重ねた。
「たとえば、ウォーミングアップ中に誰かと手がぶつかった。『指を痛めたから、今日の試合はダメだ』と思うのか、『指を痛めたけれども、こうすれば大丈夫』と思えるかで、結果はまったく変わってきます。
なにかアクシデントや逆境があったときに、『私はこの状態をコントロールできる』と思えたり、自分自身を回復する術を知っていたりする人は強いです」
現在は、スポーツ団体にかかわらず、さまざまな企業や組織において講演やセミナーを行っている。好評なのは、『メンタルタフネス』や『モチベーションマネジメント』のコンテンツだ。
「心と体のバランスを保つ」をテーマに、肩を回すなど簡単なピラティスの動きを紹介する講義はアスリートならでは。競技者としての実践と、身体の仕組みへの理解、メンタルタフネスなどの研究をもとに、悩み多き社会人がどうメンタルをマネジメントし、成果につなげていくかを伝えている。
「実は、まったくストレスがない環境だと、競技者も記録を伸ばせないんです。いちばんいいのは、ハーフ&ハーフの状態。適度に緊張感があって、リラックスしている部分もあって、という状態がいい。ストレスを感じているということは〝真剣である〞〝一生懸命に取り組んでいる〞証拠でもあります。
そのストレスをうまく活用していくことが大切。心と体はつながっていますから、心が重いときや頭でっかちになるときには、体を動かしてみるのも効果的です。ちょっとした行動の変化や心の持ち方で、いざというときにぐっとモチベーションを高められたり、メンタルをヘルシーに保つことができたりするようになりますよ」
伊藤華英 -「心と体」と「メンタルタフネス」 – イチオシ講師(了)