働き方・生き方
BUSINESS SKILLS COLUMN LIST ビジネススキル
澤田匡人 – 「妬み」の仕組みを知って成長の糧に
澤田匡人 - 「妬み」の仕組みを知って成長の糧に
妬みは悪い感情として、世間ではあまり良い印象を持たれていない。悪い感情を持たない方法を指南する書籍さえ世の中には存在する。しかし、妬み研究の第一人者で学習院女子大学国際文化交流学部教授の澤田匡人氏によると、妬みは痛みの一つではあるものの、仕組みを知れば成長の糧にすることができる感情だという。
(※本記事は、2023年9月1日発行のノビテクマガジンに掲載された記事を再構成しました。)
力武亜矢 > 文 波多野 匠 > 写真
澤田匡人(さわだ・まさと)
学習院女子大学 国際文化交流学部 教授
1975年栃木県宇都宮市生まれ。2003年、筑波大学大学院博士課程心理学研究科修了。宇都宮大学教育学部准教授等を経て、2023年より現職。専門は感情心理学と教育心理学で、妬みがもたらす正負の側面、いじめやシャーデンフロイデの研究で知られる。学生の授業評価に基づく「ベストレクチャー賞」を複数回授賞し、殿堂入りを果たす。著書に『子どもの妬み感情とその対処』(新曜社)、『シャーデンフロイデ』(勁草書房、翻訳)など。
妬みは人の成長に必要な感情
「人の不幸は蜜の味」ということわざがある。文字通り、人の不幸や失敗を見聞きすると喜びの感情が生まれることを指し、「シャーデンフロイデ」とも呼ばれる。「害」を意味するschaden(シャーデン)と「喜び」を意味するfreude(フロイデ)を合わせたドイツ語だ。シャーデンフロイデは妬みに起因する喜びの感情だが、妬みの中でも悪性の妬みによるものだと澤田氏はいう。
「妬みの感情には大きく2タイプあり、良性(benign)と悪性 (malicious)に分けられます。良性の妬みは、相手を妬む際『もしも自分が〇〇していれば……(もしくは○○しなければ…)』と、自分が別の道を歩んでいたら、ともすれば物事が好転していたと考える、自己志向タイプの感情です。相手をうらやましいと感じて、自分を変えようとする場合もあります。悪性の妬みは『もしもアイツが〇〇しなければ……(もしくは○○していれば…)』と、相手のせいで自分の自尊心が傷つけられたと考える、いわば他者志向タイプ。相手に敵意を抱いたり、それが高じて嫌がらせをしたりもします」
例えば、同期社員Aさんが自分より早く昇進したことを妬む場合、良性はAさんをうらやましく思い、自分がもう少し頑張っていれば……と考える。悪性は、Aさんは昇進に相応しくない(と勝手に思っている)のになぜ自分より先に昇進するのか……と敵意を向ける。
「ただ、いずれの妬みも自然な感情ですし、悪性であろうと妬むこと自体は悪くありません。シャーデンフロイデも邪な喜びですが、無理に消し去ろうとする必要はありません」
だが、一般的に妬みの感情はネガティブで、ポジティブな思考に変えなければいけない風潮さえあるように感じる。ポジティブ思考になるための指南書や研修を見かけることも少なくない。にもかかわらず「妬むこと自体は悪くない」とはどういう意味だろうか。
「良性の妬みも悪性の妬みも、感じることにはちゃんと意味があります。妬みは、心の痛みの一つです。例えば、痛みをまったく感じない薬が開発されて飲んだとします。すると、同期の社員が昇格して自分は降格しても悔しさや妬みなど痛みの感情は一切感じずに済みますが、同時に自分を向上させる必要性も感じません。悔しさや妬みは『もっと頑張ろう』『自分にもできる』と思う気持ちの起爆剤だからです。心の痛みがあるからこそ、人は成長できるのです」
ちなみに、妬みと似て非なる感情に感心があるが、感心は自分とは違う世界やかけ離れた成果を出した人に対して向けられがちで、痛みを伴わない。例えば、プロ野球にそれほど興味がない人が大谷翔平選手の偉業の数々に感心するような場合がそれだ。あきらかに自分より優れているが、自分とは違う業界で活躍する人であり比べるべくもないため、痛みは感じない。ゆえに、感心を抱いたところで何もしないので成長にはつながりにくい。「へぇ、すごいね」、それで終わりだ。
手塚治虫のヒット作は妬みから生まれた
妬みが必要な感情であることは理解できた。良性の妬みの場合は、自分より優れた人をうらやみつつも、どうすれば自分も優れた結果が出せるかを考え、目標を仕切りなおすことで成長できると想像がつく。マラソンランナーに例えるとしよう。大会2位でゴールしたランナーは、次は1位を目指して目標を高く設定するため、結果として成績が伸びるイメージだ。では、悪性の妬みはどうか。人のせいで自分が不利な状態になって苦しめられたと感じている状態から、どう成長につながるのだろうか。
「妬みには、強いパワーがあります。その中でも、悪性の妬みのパワーを上手く放出する場所を作れると、想像以上の成果を生み出すことができます」
かの漫画家、手塚治虫氏も、自分の後から出てくる若手への妬みが「ブラック・ジャック」などのヒット作へつながったといわれている。若手を妬み、ときに感情的で辛辣な批評をしながらも、妬みをパワーにして、新たな作風を生み出していったそうだ。
たしかに、他人を妬む感情は他人の幸せを喜ぶ感情よりはるかに強いパワーがあるように感じる。しかし、そのパワーゆえに制御不能となり、相手を傷つける事件などにつながるケースもありえる。つまり、妬みの感情自体に罪があるわけではなく、その加減や付き合いかたについては、自分と向き合って確認しておくことが肝心というわけだ。実は、澤田氏も悪性の妬みを持ちやすい性格だという。妬みの研究を始めたきっかけも、自身が抱く妬みのメカニズムを知るためだった。
「私はいま、昔ほど悪性の妬みを持てなくなってしまい、いささかパワー不足を感じています。人生経験を重ねてまるくなったのか、守る家族が増えたからか……研究を進めていく上での糧としては、もう少しあってもいいとさえ思いますね」
妬みとの上手な付き合いかた
妬みは嫉妬と混同されがちだが、嫉妬は自分が持っていたものを奪われたときに生じるため、自分が持っていないものを求める妬みとは異なる。例えば、恋人が他の誰かに目移りしたときに感じる、自分から離れていく不安や怒りがない交ぜになった感情が嫉妬と呼ばれる。前述の手塚治虫氏の話に当てはめるならば、自分にはない新しい作風への妬みと、自分のトップポジションを奪う勢いの若手への嫉妬の両方を感じ、苦悩していたのかもしれない。
手塚氏の例にあるように、妬みや嫉妬はネガティブな感情だが、蓋をすれば済むものでもない。一般に「ネガティブ=悪いこと」という印象が持たれやすく、妬みは隠しておいた方が良いという認識が根強いのかもしれない。しかし、ネガティブな感情だからこそ、それを乗り越えようと手を尽くし、自分を変える伸び代が生まれる。それなのに、無理してポジティブ思考になろうとすれば、隠し切れない衝動とのせめぎ合いが起き、混乱し疲弊するだけだ。
「大切なのは、ネガティブ感情も捨て難い心の仕組みの一つだと理解し、自分はどの感情を持ちやすいかを知っておくことです。自分を知っていれば、どんな感情に苛まれていようとも、それを生かす術を考えられます」
澤田氏の研究によると、良性の妬みを感じた経験を思い出しやすい人ほど、年収や自認する社会階層が高い傾向にあるらしい。良性の妬みには適切な目標設定を通じてパフォーマンスを高める効果があるため、こうした人たちは普段から自分の妬みを活用できているのかもしれない。また、手塚氏のように悪性の妬みをパワーに変え、新しい景色を観た人もいる。妬みの感情がなければたどり着かなかった世界だ。
「すべての感情は、効率的な価値判断システムです。妬みだけでなく、喜びや悲しみなどの感情が生じて、それらを自覚できるからこそ、次のステップに進める。どの感情もあって然りなのです。ただ、溢れる感情に振り回されて冷静になれず、人に危害を加えるような場合は要注意です。高い自尊心や自己肯定感が望ましいとされていますが、こうした特徴がある人は、自分を認めてもらえない局面では攻撃的になりがちです。感情も性格も、それら単体で良し悪しは語れません。どんな性格でも、状況の違いにより、自他にとってプラスに働くこともあれば、マイナスに働くこともあります。どれが良い性格で、どれが悪い性格と区別したところで意味がないのです。」
自分の感情をどう活用するか。決めるのは本人次第
妬みなどのネガティブな感情は生きる上で必要であり、ポジティブに変える必要はないことが、澤田氏の話から分かったが、実際の研修現場では、怒りをコントロールするアンガーマネジメントや自分の認知を俯瞰するメタ認知など心理学に基づく研修内容が増えている。
感情の正体を知ることや自分がどの状態に当てはまるかを知る機会は大事だ。しかしそれは、人を無理やりポジティブ思考に矯正するものではない。感情の正体を知り、自分自身の特徴を把握し、そこからどんな考えを持ち、どんな人生を歩んでいくか。それを決めるのは本人だ。
ネガティブ感情に苛まれている社員に対し、頭ごなしにポジティブに考えろと指導するのではなく、ネガティブ感情が及ぼす働きかたや生きかたの仕組みを伝えるほうが得策といえる。また、澤田氏によれば、グループとしての一体感に乏しい職場の部署では、同僚から妬みを買いやすく、それゆえの嫌がらせを受けやすいという研究もあるという。個人の性格について丁寧に考えを巡らせるのも大事だが、同様に職場全体の雰囲気や人間関係の状態を加味しておくことも必要であろう。